清見は、今日人気を博しているデコポンやはるみ、せとかといった海外の柑橘の風味が入った品種の先駆けとして、これらの親にもなった、日本の柑橘史に残る記念すべき品種です。
日本の温州みかんの良さと海外の柑橘を融合させ、新しい時代の柑橘を作り出そうとした国の試験場の努力によって誕生しました。
三崎地区での取り組みと併せて、これまでの歴史をご紹介します。
新時代の柑橘新品種育成の取り組みは、戦前から始まっていましたが、本格化するのは戦後になってからのことです。外国より数段遅れをとっている新品種育成の取り組みに危機感を抱き、海外から新品種をたくさん取り寄せて、交配(品種改良)を始めたのです。
清見誕生のきっかけとなる、温州みかんと他の柑橘との交配が行われたのは昭和24年頃のことで、静岡県静岡市清水区興津にある旧農林水産省園芸試験場東海支場※で、数千例以上の交配が行われました。
交配の結果、得られた新品種はわずか数十本に過ぎなかったそうですが、この中に№6781、後に興津21号の系統番号が与えられる有望な個体が入っていました。
日本の宮川早生という温州みかんと、アメリカカリフォルニア生まれのトロビタオレンジを親に持つこの個体は、昭和38年に初結実後、40年代に全国各地で栽培試験が行われ、その結果、優秀な新品種であることが確認されました。
昭和54年6月29日、興津21号は農林水産省育成の新品種、タンゴール農林1号として登録され、生まれ故郷に広がる景勝地清見潟に因んで、「清見(きよみ)」と命名、公表されました。
後に清見は、甘くて多汁、そしてオレンジの香りと風味で鮮烈なデビューを果たしますが、その味をお届けできるようになるまでには、全国の産地は試行錯誤を繰り返すことになります。有望な品種といえども、どこでもその特性が発揮されるわけではなく、作る場所を選び、農家や技術指導者の創意工夫を加えて、初めて商品となるものだったのです。
※現 独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構果樹研究所カンキツ研究興津拠点
※引用文献 果樹試験場報告B第10号 カンキツ新品種’清見’について
清見の種苗が初めて三崎地区に導入されたのは、昭和50年代中頃のことで、ある農家が個人的に興味があって、少量の種苗を九州から取り寄せたのが始まりです。
ただ、当時の三崎地区は甘夏柑を中心とした産地で、糖度の高い柑橘はほとんど栽培の経験がなかったため、注目する農家はあまりいませんでした。
しばらくして、甘夏柑に代わる将来の三崎地区を担う新品種を検討することになり、その際、農協本所の営農指導部長より、「清見を導入してはどうか」との助言を得て、候補の一つに加えることになりました。伊予柑やネーブルオレンジとともに試作を行い、栽培上の問題点や果実品質を調査しました。
ところが、ここで清見の導入に否定的な意見が大勢を占めてしまいます。試作の結果、食味がおもわしくなかったのです。
その原因は、早く収穫し過ぎたことにありました。試験場は清見の熟期を3月中下旬頃と公表していましたが、その時期まで樹上で越冬させると、凍害や鳥による食害で全滅するリスクがあるため、厳冬期に入る前に収穫することを前提で試作を行ったのです。
おいしくて将来有望な品種と紹介されても、共選として農家に栽培を奨励する以上は、経済的に見合うものでなければなりません。まともに収穫できないおそれがあることを前提に奨励するわけにはいかず、これはやむをえないことでした。
産地化は難しいと考える人が多かった清見でしたが、試作した農家はすぐに伐採することはありませんでした。
せっかく買って育てた樹ですから、もう少し様子を見たいという気持ちはありますし、いろいろと試してみて、思わぬ発見に出会えることをみんな期待しています。そんな秘めたる熱意が産地化への原動力となっていきます。
そして、ついに真価を発揮した清見に出会う時がやってきます。誰が最初に発見したかは諸説あるのですが、春先まで樹上に残っていた清見を試食したところ、これが実においしく、当時売られていた柑橘とは明らかに違い、甘くて、オレンジの風味が漂う絶品だったのです。
早速いくつかを収穫して、取引があった青果市場へ送ったところ、「面白いので是非栽培してほしい」という意見が寄せられ、魅力ある商品になるという手応えは掴むことができました。ただ、産地化には解決しなければならない問題が数多あります。
取り組むか否か、技術指導員や共選運営を決めるリーダー格の農家間で激しい議論となりましたが、最後は清見に惚れ込んだ農家の意見が勝り、試行的ではありますが、産地化に取り組むことになりました。
当時、既に清見の栽培を始めていた産地が九州などにありましたが、越冬後に収穫するという特性から、温室栽培用の品種として取り組まれる例もありました。
しかし、三崎地区は細長い半島特有の急傾斜と、強風が吹き付けるため、温室を導入することは困難です。ただ幸い、愛媛県内でも積雪や霜害を被ることが少ない所でしたので、露地栽培を可能とする技術によって産地化を目指すことにしました。
まず、凍霜害を防止するため、清見の栽培は標高100m以下の園地に限ることを取り決めました。それまでの試作結果や経験から導き出した数値でした。
さらに、寒さや鳥から果実を護るために、全ての果実に袋をかける※ことにしました。試験場の研究データから、外気より約1度高い保温が見込めました。
今では、厳冬期に収穫を迎える品種が多くなり、柑橘に袋をかけることは一般的になりましたが、当時は収穫以外で全ての果実に手を触れるというのは考えられない重労働で、実はこれが清見導入にあたっての最大の障害となっていました。しかし、真価を発揮した清見が魅力的だったため、農家も辛い作業を乗り越える決心がついたのです。
※枝や樹ごと布で覆う方法を検討したこともありますが、光合成が阻害され、果実品質が明らかに劣ったため、現在は行っていません。
新品種は樹の育て方が未知であるため、毎年いろいろ研究を重ねなければなりませんでしたが、一方で収穫後についても解決しなければならない問題がありました。
その一つが品質のバラツキです。清見は品質にバラツキが生じやすい品種のため、農家個人が選別を行う方法では、市場が求める商品の水準にはなかなか達しませんでした。
その後、生産量が増え、共同選別ができるようになって、ある程度改善することはできましたが、さらに研究を重ねた結果、園地の標高や環境条件と熟期に相関関係があることがわかり、地帯区分を設けて収穫開始日を調整する制度を導入しました。
現在は光センサーにより、1個1個の果実の糖度、クエン酸量を計ることができ、確実に品質を揃えることができますが、この制度により出荷する商品には高い評価をいただけておりましたので、現在も地帯区分は残して、収穫適期を見計らって収穫しております。
また、清見は食べ方を提案する必要もございました。試験場は、温州みかんのような皮が剥きやすいオレンジの開発を夢見ていましたが、温州に比べるとやや剥きにくい品種となりました。
そこで、カットフルーツとして切ってお召し上がりいただく方法を提案し、その要領を記したチラシを箱に同封して出荷するようにしました。
日本では手で剥いて食べる習慣が根強いですが、こうすると果汁や香りが手につきにくくなるので、清見に限らずお勧めです。
三崎に清見がやって来てから約10年を経た昭和60年代後半、ようやく樹上完熟品の清見がお届けできるようになり、酸っぱいと酷評されていた三崎産の清見タンゴールは、みなさまに出荷を心待ちにしていただける商品にまで成長することができました。その後、平成に入る頃から本格的に生産が始まり、現在に至っております。
ただ、導入当時に懸念されていた鳥獣害や凍害の問題は未だ解決を見ておりませんし、時代と共に、清見タンゴールに対するご要望も大きく変化してきております。現在も品質を上げるためのマルチ栽培を導入するなど、いかに安定した品質の商品を毎年お届けできるか、歩みを止めることなく研究を重ねております。
これからも清見タンゴールをはじめ、三崎共選の柑橘に変わらぬご愛顧を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
【新しい技術 その2 光センサー付き選果機】
食味(糖度と酸含量)を調べるためには、果実を搾って果汁を得る必要がありましたが、この選果機は、果実に傷を付けずに計測することができ、出荷する全ての果実を検査することができるようになりました。
これにより、味の良い果実ばかりを揃える究極の贅沢も可能となったのです。
【新しい技術 その2 マルチ栽培】
マルチは、果樹園の表土を覆う資材で、雨水の浸透を少なくし、糖度の向上が期待できるほか、枝の下が明るくなり、果実の着色向上も期待できます。
三崎共選では、一部の指定園地でこのマルチ栽培を導入し、おいしい果実を、いち早くお届けできるように努めています。
清見の誕生を喜んだのは農家ばかりではありません。実は、新品種を育成する果樹関係の試験研究機関にとっても、大変喜ばしい出来事だったのです。
それは、柑橘ではなかなか見られない「単胚性」という性質を清見が持っていたからなのです。
親と全く別物の新品種が、自然条件下で発見されることはほとんどありません。今ある大半の新品種は、果樹を研究する国(現在は独立行政法人)や県の試験場が交配して誕生させた品種です。
通常農作物で新品種を誕生させるには、母親とは違う品種の花粉を受粉させてやります。これを交配といいます。その結果得られた果実は、両品種の交雑種となり、親とは違う性質を持ちます。
ところが、柑橘ではこれがなかなかうまくいかないのです。もちろん受精すれば種の中に交雑した胚を形成しますが、これとは別に「珠心胚」(しゅしんはい)と呼ばれる、受精なしで形成される胚をいくつも作り上げる性質があるのです。これを「多胚性」といいます。
珠心胚には父親の血は全く入っていませんから、珠心胚から出た芽は、母親と同じ品種になってしまいます。珠心胚は、多い品種では50前後できる上に、1つしかない交雑胚の生育を抑制してしまいます。つまり、多胚性品種を母親に使うと、圧倒的に失敗する可能性が高いのです。
一方、単胚性品種から出た芽は確実に交雑種となります。このため、交配による新品種育成には、母親に多胚性の品種は使わないのが常識とされているのです。
とはいうものの、単胚性の品種は少なく、実際に交配に使える品種は数えるほどしかありません。そこに温州みかんの血を引く清見が加わったわけで、みかんの良さを受け継いだ新品種を開発する上で、非常に重要な役割が期待されたわけです。
ちなみに、清見の母親は多胚性でした。このとき得られた交雑種(新品種)は交配した数千本のうち、わずか数十本だったといいます。しかも、今のようにDNA鑑定する技術は当時無く、樹が生長してから、目視で交雑種かどうかを識別したと言われています。清見は、想像もつかない苦労と時間を経て生まれた、待望の新品種だったのです。
※引用文献’清見’は偉大な母 -カンキツの良食味・高品質品種の育成-
松本亮司 農業及び園芸第72巻7号
果樹試験場報告B第10号 カンキツ新品種’清見’について
この世に初めて誕生した清見の原木は、今も生まれ故郷の果樹研究所カンキツ研究興津拠点(静岡市)に大切に保存されています。
清見タンゴールはもちろん、デコポン、はるみ、せとかも、この樹の誕生なくして生まれることはありませんでした。そう考えると実に感慨深いものがあります。
今のように消費者の嗜好が多様化していなかった戦後まもない頃に、将来を見据えて、極めて成功率が低い品種改良に挑んだ試験場の先生方。その先見の明と、志の高さには尊敬の念を抱かずにはいられません。
おいしい柑橘をお届けするために、産地のみならず、国や県の果樹試験研究、指導機関のみなさんも、日夜努力されています。
皆様の縁の下のお力添えに敬意と謝意を表し、ここに清見誕生までの軌跡を広くご紹介させていただきます。